初代の山田吉次が昭和16年に他界し 山田家を継ぐこととなりました。 昭和19年に山田家は、強制疎開で店を壊され、 郡上八幡に疎開、さらに、赤い紙が来て戦争に召集。 満州で終戦を迎え、シベリヤに抑留されたそうです。 その後、昭和22年の春に帰国し、 故郷である郡上八幡で、しばらく暮らしたようです。 その後、大井東口のすし屋で板前生活をはじめで 昭和22年、山田寿司を再開することに